ブラック保育園に3年間勤めた私が、体を壊して転職するまでの話

保育士 年収 低すぎ
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編集長まなしば
編集長のまなしばです。

今回の記事では、大学卒業後に認可保育園に就職したS子さんの体験談を紹介します。

彼女は運悪く、1つ目の保育園がいわゆる、働きすぎ、職場の人間環境が厳しい「ブラック」な保育園でした。

もし、この記事を読んで、自分も同じような環境だと感じられる方がいましたら、保育士としてのキャリアを、今一度見つめ直してほしいと思い、この記事の執筆を依頼しました。

この記事が皆さんのキャリアを考えるきっかけとなれば嬉しいです。それではどうぞ。

元保育士のライター、S子です。

私は大学で4年間保育を学び、東京都の北部にある認可保育園に就職しました。現在も、かなり大きく展開している社会福祉法人が母体です。

社会福祉法人だし、認可保育園。園児の定員は50人で「家庭的な雰囲気」という理念を掲げていたので、きっと働きやすい職場だろうと思い、すぐに履歴書を作成しました。さらに、新設園ということもあり、自由にチャレンジできるのではないか?とワクワクした気持ちでいっぱいでした。

今になって思えば、私の判断が甘かったのだと思います。

しっかりとした法人で認可保育園だから安心。

50人規模だから手厚い保育ができる。

新設園だから自由に働ける。

それらはすべて、誤算でした。

新卒で就職し、3年目に体を壊してドクターストップがかかるまでのエピソードを、包み隠さずお話します。

職場の経理が機能していない。保育用品は保育士の自腹が当たり前

新設園のため、保育用品を一から揃えるところから仕事が始まりました。

おもちゃや調乳の道具、絵本、清掃用具など、全くない状態でのスタートは、予想以上に大変なものでした。この時点で「おかしい」と気づくべきだったのですが……。

まず、子どもが遊ぶおもちゃが圧倒的に足りない!!

見栄っ張りな園長は、ドイツ製の高い玩具を1〜2個購入し、備品用の予算をほとんど使ってしまったのです。

ドイツ製のおもちゃはかっこいいけど、これでは明らかに保育ができません。そこで担任保育士たちは、我が子のお下がりを持参したり、休みの日はトイザらスに足を運び、パズルや人形を購入するという状況になってしまいました。

さらに、玩具だけではなく清掃用品も準備がありません。洗剤や手洗い石鹸、トイレの雑巾など、足りないものに気付いたらその都度購入する……。

普通は保育園の経理担当者が備品購入管理などをしていると思いますが、できたばかりの保育園はそういった体制がほぼ整っていませんでした。(結局、備品購入体制がきちんと整ったのは、2年後でした)

最初はこまめに領収証を提出していましたが、数百円のものであれば自腹でいいか……という雰囲気になり……。

私は、年間で3万円くらい保育園の備品に貢献したと思います。ただでさえ給料が安いのに、この出費は痛手でした。

保育業界では、こういった「経費に関するあいまいさ」がまかり通っています。

子どものためなら、少しくらい自腹でお金を出しても良いだろうという雰囲気が職場全体で成り立ちやすいのです。

経理がしっかりしていない園であればなおさらです。それに、先輩が自腹で保育用品を買っていたら、後輩だって買わないわけにはいきません。

月120時間のサービス残業。時給は実質400円

保育士の過剰労働問題は、最近徐々に明るみになってきていますね。もっと早く明るみになってくれたら良かったのに……と当事者としては思いますが。

私が残業をした最高記録は、深夜2時。

次の日は早番で7時出勤だったので、ほぼ徹夜でした。どうしてあんな働き方ができたのか謎です。

ただ、クラスに子どもたちがいることを考えると、自分のキャパシティを超えていても過剰労働ができてしまうんですよね。

日案、週案、月案、児童表、来月の壁面、明日の保育の準備、行事の係の仕事。

これらはすべて、保育中にはできないことばかりです。

本来であれば17時半が退勤の時間でしたが、当時の私たちにとっては17時半は「ようやく自分の仕事ができる時間」でした。

さらに、先輩が残業をしているのに、後輩が先に帰るのはタブー。

たとえ16時上がりの早番の日であっても、行事の準備などがあれば関係ありません。8時間制のシフトなど、保育士にとっては無意味です。

もちろん残業代も出ないので無報酬労働なのです。

私は月平均120時間のサービス残業をしていたことになります。

1日平均5時間。夜の22時前後まで保育園に残るのが普通ということです。

さらに、土日は持ち帰り仕事もあります。制作物を作ったり、書類を書いたり、家でも常に仕事をしていました。

保育士の時給って実質いくらなんだ?と思って試算したことがありますが、月に120時間のサビ残+持ち帰り仕事+シフト上の勤務時間で月収を割ると、だいたい時給400円くらいでした。本当に笑えないです。

保育士 年収 低すぎ

対人関係のストレスで心の病にかかる保育士が続出

たくさんの子どもと保護者に関わる保育士は、精神的な負荷が大きいのも事実です。

しかし、私が実際に辛かったのは子どもと保護者のことよりも、職員の人間関係でした。

新設園のオープニングスタッフとして集まった保育士は、キャリアも様々です。

10年目の中堅もいれば、通信教育で資格を取ったばかりの40代の保育士もいるし、私のような新人もいる状態で仕事がスタートしました。

そんな状況で起こったのが、保育士同士のぶつかり合いです。特に先輩保育士のぶつかり合いは凄まじく、火の粉が飛んでこないかソワソワしながら保育をしていた記憶があります。

実際、保育中に意見の違いで先輩同士が大げんかを始めてしまったことがありました。子どもたちも怯えているので、隣の部屋に避難をし、なんとかやり過ごしました。

しかしその後、先輩同士の喧嘩は私にも飛び火。

先輩
「あなたはどっちの味方なの?」

と、責められる始末。

中学生のいじめかよ!と思いましたが、新人なので口答えできません。適当にはぐらかしてしまった私も悪いのでしょう。

深夜に先輩からLINEが来たと思えば

先輩
「この間、○○さん(喧嘩相手)と買い物に行ったんだって?不信感があるのでLINEをしました」

という趣旨の長文が送られてきました。

明日早番なのに!付き合いきれない!と思って「すみません」と適当に返事をしました。

いちばん恐れていたのは、保育中に先輩に復讐をされることです。

私が絵本を読んでいると、

先輩
「全然つまらないね〜」

と言って、わざと子どもを散らしたり。私に懐いた子のことは、徹底的に無視をしたりなど。

子どもを使って保育士にいじめをするなんて、とても卑劣です。

こういった保育士同士の関係のもつれは深刻だったと思います。実際、私の周辺以外でもいじめが横行し、うつ病になって辞めていく保育士が何人かいました。

モラルの低い保育士たちが当たり前のように採用され、何のお咎めもなく働き続ける理由は、やはり保育士不足でしょうか。

少しでも保育経験がある人は、この業界では重宝されます。

こういった保育士を経営者がなかなか手放せないため、質の良い保育からどんどん遠ざかるのではないでしょうか。

実際、私に意地悪をしていた先輩のことを園長に内部告発したところ、

園長
「そんなこと言われても困るわ。あなたが頑張って」

と言われてしまいました。

そういえばこの先輩は、園長と家族がらみで付き合いがあったなあ……と思い出しました。内部告発は、最初から負け戦だったのです。

辞めさせない雰囲気を巧みに構築する園長

ハードな残業やいじめなどが原因で、開園2年目を迎えて辞めていく職員が続出しました。

パートさんや学生のアルバイトも含め、だいたい月に1人は退職届を提出するような状況でした。

保育士だけでなく給食室の職員も辞めていき、一時「給食が作れない」という非常事態に陥りました。(緊急で園長が調理しました)

このような状態を重くみたのか、園長は職員会議の時に言いました。

園長
「もう今年度、退職はしないでください。どうしても辞めたい人は、職員会議で自分の口で説明し、全員に了解をとってください」

その時の私は“人がいないギリギリの状態でクラスを回す側”だったので、ボンヤリと園長の話を聞きながら「これ以上人が辞めたら大変だなあ」と考えていました。

そういった園長の脅し(?)もあり、絶対に辞めてはいけないという謎の共同意識が芽生え、「苦しくても、絶対にみんなで頑張ろうね!」という雰囲気ができあがりました。

今にして思えば、これは、職場内の共依存関係ですね。

辛いけれど離れられないという、職員の善意を搾取するようなやり方です。

「私がいなくなったら、この保育園は回らない」という使命感に酔いながら、相変わらず深夜まで残業をし、土日も仕事に返上していました。

ついにドクターストップ「これ以上働けば、死にますよ?」

私の体が一気に壊れたのは、3年目のことでした。

姉妹園ができたため、いじめの主犯だった保育士たちが異動し、ようやく職場の人間関係も落ち着いていた頃のことです。

私は乳児クラスのリーダーをして、新人の女の子と一緒に組んでいました。

これでようやく、のびのびと保育ができる!気持ちを切り替えた瞬間、気が抜けてしまったのでしょうか、今まで我慢してきたものが吹き出してきたのでしょうか。

私の体が悲鳴をあげました。

喘息に生理不順、膀胱炎が続き、病院や整体に毎週通いながら、ギリギリの状態で仕事を続けていました。

保育の合間に経口補水液を飲み「なんだか元気になった気がする」と自分を騙しながら働いていたのです。

行事の準備もあるし、プールも始まるし、新人の子たちにも教えてあげなきゃいけないことがたくさんある。

何より、1日ずつ成長していく0歳の赤ちゃんたちを、しっかり見守りたかったのです。

しかし、ある日急な発熱で近所の内科を受診した私は、医師にこう言われました。

医師
「血尿が出ています。腎臓がやられているので精密検査をしましょう」

まったく自覚症状がなかったので、驚きました。

子どもからもらった風邪かな?くらいに思っていたのですが、自覚している以上に、私の体は壊れていたようです。

しかし、今は行事の前だからどうしても仕事に行かなければいけないと主張すると、医師は渋い顔をしました。

医師
「これ以上働いたら、死んでしまいます。どうしても休めないなら、診断書も書きますから」

翌朝、私は出勤しようとしました。しかし、布団から出ることができませんでした。熱も40度近いまま下がりません。

主任に電話で事情を説明した時、彼女が私に返した言葉が忘れられません。

主任
「で?それは、いつ治るの?」

…頑張ろうと思っていた気持ちの糸が、プツンと切れてしまいました。

しかし、園長の脅しや、自分のクラスのことを考えると退職に踏み出す勇気が出せません。

迷った私は同僚に電話をかけました。いちばん信頼していた、ベテランのおばちゃん保育士です。

S子
「もう体が動かなくて、私、無理かもしれないんです。どうしよう。子どもたちにも後輩にも合わせる顔がないです」

泣きながら訴えました。

ベテラン保育士
「あのね、S子ちゃん。もういいよ。十分頑張ったから、もう休みな。これ以上、ここに尽くさなくていいよ。子どもたちも大丈夫だから」

お母さんのように慕っていた同僚から背中を押され、私は退職届を提出することができました。医師に書いてもらった診断書を添えて。

案の定、園長からは「辞めたいなら職員会議でみんなに許可をとってください」と言われましたが、退職時に職員の許可をとらなければいけないなんて、労働基本法では決まっていません。

そのまま、逃げるように保育園を辞めました。

転職先は地域の子育て支援施設

ブラック保育園を退職して1ヶ月くらい無職でいました。こんなふうにゆっくりと休める時間は久しぶりでした。

しばらく発熱は続き、布団から出られない状態でしたが「もう保育園に行かなくていいんだ」と思うと、心が穏やかになりました。

しかし、その一方で残してきてしまった後輩や同僚、子どもたちのことがずっと忘れられませんでした。

心配した同僚から「大丈夫?」とクラスの子どもの写真つきでメールが送られてきましたが、写真を開くことも返信することもできませんでした。

ただでさえ、保育士の人数が足りない職場。クラスのリーダーである私が抜けることが、どんな影響を及ぼすかくらい分かります。

保育園の現状を想像すると、涙が止まらなくなりました。

後から「私の退職が決まった時、深刻な人不足のため主任が泣いた」とか「私が抜けた後のクラスは、隣の1歳クラスの先生が一緒に見てくれている」という話を聞き、罪悪感で胸がいっぱいになりました。

退職の手続きがすべて片付いた頃、「次の仕事はどうしよう?」と考え始めました。

保育士の退職金はそれほど多くないので、ずっと働かないまま、というわけにはありません。

携帯で転職サイトを探し、新しい職場探しを始めました。

しかし、また同じような保育園に勤めてひどい目にあったらどうしよう……。

そう思い、なかなか保育園への応募に踏み出せなかった時、残業や持ち帰り仕事のない、子育て支援施設の求人を発見しました。

保育士の仕事は保育園だけだと思われがちですが、地域の支援施設も選択肢の一つなのです。

クラス担任のように子どもたちと密に関わる仕事ではありませんが、育児相談に対応したり、地域の親子をゆったりと見守ることができる職場は、今の私にぴったりだと思いました。

履歴書を送るとすぐに面接の案内がきました。

約3年の保育経験があったため、スムーズに採用してもらうことができました。退職理由は、面接の時に、正直に言いました。すると、

面接担当
「とんでもない職場で働いていたのね」

と、同情してもらい、再就職を応援してくれたのです。

支援施設では、9時から17時までの勤務時間がしっかりと守られ、持ち帰り仕事もありません。子育て中の職員もいたので、みんなで協力しながら「仕事の負担が軽くなるように」という共通意識を持って働いていました。

ブラック保育園で働いていた頃は、よく体を壊していましたが、無理のない働き方に変わり、風邪をひくことも滅多になくなりました。

月に一度、職員で保育の勉強会を行っているので、職員全体の意識も高く、レベルの低いいじめで悩むようなこともありません。

同じ保育士なのに、職場が違うだけでこんなにも働き方が変わるのか!と驚きました。

体を壊す前に、勇気を出して転職していれば良かったです。

元保育士として、情報を発信する側に

ほいくびより ライター

転職先の子育て支援施設を3年目で辞めた私は、現在フリーランスのライターになりました。

保育現場は非常に閉鎖的です。私が経験したようなことは、保育の世界では当たり前のように起こっているのに、守秘義務のためなのか、そういった事実が明るみに出ることはほとんどありません。

保育士がもっと働きやすく、心から仕事を楽しむことができる環境づくりのためにも、問題を開示していくことは絶対に必要だと思っています!そのため、このように記事にさせていただきました。

ブラック保育園で働いている時は、「自分の働く場所はここしかない」と思い込んでいました。

だから、そこで何とか頑張ろうと無理をしてしまったのだと思います。

しかし、視野を広げてみると、働き方はたくさんあります。

私のように、支援施設で働くというのも選択肢のひとつでしょう。

もしくは、他の保育園に転職することで、もっと自分らしく保育ができるようになった!という友人もいます。

もしも、「保育士辞めたいなあ。でも他の仕事はできないなあ」と悩んでいる方がいたら、ぜひ、新しい働き方を探してみてください。

ずっと辛い職場に留まり、体が壊れるまで働く必要はないのです。

ライター:S子
元保育士。ライター。ブラック保育園で体を壊し、思い切って退職&転職をしました。自分の経験が、現役保育士たちの糧になるように情報発信をしていきたいです!

編集長まなしば
編集長のまなしばです。

今回の記事では、大学卒業後に認可保育園に就職したS子さんの体験談を紹介しました。

いやぁ、本当にひどいですね。私自身はいわゆる普通の企業でしか働いたことがありませんが、残業代の未払いなんて、許されることではありませんし、職場でのいじめも(そんなことが万が一あれば)すぐに問題になります。

なんというか、保育業界の特殊さをあらわしているように感じました。

勝手ながら、私としては、ブラックな保育園はどんどん淘汰され、健全な労働環境が整うことを願うばかりです。

もしこの記事を読んでくださった保育士のみなさんが、今いる保育園が、S子さんの事例のように少しでもおかしいと感じられたり、劣悪な労働環境ならば、勇気を振り絞って、転園したり新しいキャリアを探してほしいと思います。

S子さんのいうように、自分の今いる保育園が、保育業界のすべてではありません。ブラックな保育園もあれば、素晴らしいホワイトな保育園もあります。

自分の納得のいく働き方が見つかるまで、保育士の仕事を諦めないでほしいと思います。

私も引き続き、働く母親として、政府や行政に、保育士の地位向上のために働きかけていきたいと思います。

この記事が、皆さんのキャリアを考えるきっかけとなれば嬉しいです。

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